僕のブログ

日記を書くところ

人間関係を持続できない

 

 僕は何の理由もなく突如に人のことが嫌いになってしまいます。最初はこのひとやあのひとたちと仲良くしたいなと思ってコミュニケーションを取ろうとします。もともと僕はあまり人付き合いが得意な人間ではありませんので、最初の一歩がうまくいかないケースもたくさんあります。でも、何度か試みているうちに最初の一歩を踏み出して少しづつ仲良くなっていけたことはあります。しかし、交友関係を長く続けていくうちになんだか相手の嫌な面が鼻につくようになってしまいます。すると、僕はそのことに我慢できなくなりすぐにその人と縁を切ってしまいます。

 

 日常の社会生活においては最初に僕の取る手段は道化を演じることです。そうすることで、なにも取り柄のない僕の周りにも人が集まってくるようになります。その中から僕と仲良くなってくれそうな人を選びます。でも、一個人で道化を演じる僕とコンタクトを取ってくるケースはあまりありません。なので、実際ところは小集団を相手にすることになります。僕の仲良くなりたい人とその集団に属する他の人は別の存在です。これは当たり前のことですね。となれば、その人だけでなく他のみんなとも仲良く振る舞う必要がでてきます。そうなると道化師としての僕は他の人の要求に応じで行動しなければならなくなります。一個人を相手にしたものであれば、僕にも容易に制御することは可能です。でも、集団となると仲のいい相手の人もその集団心理にのまれてしまうことがあります。すると、僕にとって不都合な自体が生じます。それは、一方的な道化師を演じる僕からの笑いの搾取です。彼らは僕の道化に対してなんら貢献をなしてくれません。だけれども、彼らは僕に対して面白い人間であろうとさせることを望みます。僕はそのことがすごく嫌です。なぜなら、僕は面白いことをして相手に表情を伝った喜びを引き起こさせているのに、暴君の如くさらなる欲求をむき出しに蛮行じみた暴挙に及ぶからです。でも、これが他になんら取り柄のない僕の限界なのかもしれません。

 

 しかしながら、道化師を演じる気分はわりといいものです。僕の寄与した行為で相手が表情を喜ばせれば、その瞬間は僕も嬉しい気分を味わうことができます。だが、このことを客観的に捉えてみれば、ただ僕は相手にとって都合にいいだけの存在でしかありません。経験上、僕が相手に何かこの道化を演じることに準じたことを要求したところ、なんらそれを飲んでくれる人はごく少数の人を除いていませんでした。これらを思い出すたびに僕の築いてきた人間関係とは一体なんとも空虚でもろいものだのだろうと痛感させられます。だんだんとそのことを考えるたびに人間と付き合うことが馬鹿らしくなってきます。するとある日突然にその人達と縁を切りたくなり、段々と会うことも連絡をとることもなくなり、そして、絶縁してしまいます。

 

 こういったことが積み重なって結局のところ僕には誰ひとりとしてトモダチができませんでした。人はその本性からして、相手を支配しようとする生き物なのかもしれません。だれも相互扶助の考えに沿った貢献による進化というものを理解してくれないのでしょうか。集団は相互扶助によってでしか知的に発展することがないものだと僕は思います。