僕のブログ

日記を書くところ

岬ちゃんのいない現実のNHK

 

 ここのところめっきりブログを更新することもなくうだらうだらとした生活を過ごすだけの日々でした.そんな人生の暇つぶしにはなるんじゃないかと思って日記のようなブログを書こうとおもっていたのだけれども,継続力に欠ける僕には難しかったようです…。しかし,そんな空虚な日々を過ごしていた中に突如として数日前にNHKさんの戸別訪問者が私の家に来たのです。

 ある日のお昼過ぎ頃に急に幾度もないインターホンが鳴り響いたかかと思えばドアを叩く音が家中を駆け巡りました.あまりにも急なことでしたので,どなたがこられたのかと思い母親が玄関先まででてみたところ,NHKから代理で遣わされた戸別訪問の人でした.なんの要件でこられたのかと思えば,BS NHKの契約を結んでほしいということでしたが最初母親は,そんなものを観る必要性は皆無ですから早く返ってほしいばかりりに怒鳴るような調子で応戦しておりましたが,向こうも負けじと偉そうな態度でそれに応じていました.ですが,いくら言論を交えたところであのNHK相手に埒が飽くはずもなく母親も以前にまして苛立っている様子でしたが,うちは地上波放送の方は見ますがBS放送なんてこれっぽっちも観るつもりもありませんし料金プランが別々なのに何故契約しないと行けないのですかと,そう問いただしました.すると,向こうは「NHKの地上波放送とBS放送の料金プランは一本化されましたので契約していただく他ありません」とそうはっきりとおっしゃられたのです.それならば,致し方ないと渋々に契約書に署名してNHKの戸別訪問者を退散させたのでした.

 しかし,またあくる日のことある人にそのことをお話ししたところ,NHKの料金プランが一本化された事実なんてどこにもないよ,むしろそうなった場合はハガキで向こうは送りつけてくるからとのご指摘をされまして,急いでNHKのWebページを確認したところ確かにそのようなことはなく地上波放送とBS放送の料金プランは別々のままでした.つまり,NHKの代理で遣われた戸別訪問者の虚偽表示もしくは錯誤によった詐欺行為によって,我が家はその契約を締結していたのです.なんというゲスさ,なんという畜生さ,これが国営放送のやることなのかと心の底から深々とした怒りが,,,いや,翻って激昂せざるを得ませんでした.

 あの,ひきこもり小説・アニメ・漫画に登場したN.H.Kにようこその岬ちゃんは僕のもとへは来てくれないのでしょうか…。現実のNHKに騙されて結ばされた契約の無効もしくは取り消しを主張すべく翌日すぐさまに電話してみたのですが,「BS放送の受信環境がお整いなのでありましたら,BSNHK放送を受信して見ていただくしかありません」と定言命法もさながらな道理にもならない暴言を吐き散らし全くお話しにならない始末でした.あぁ,岬ちゃん助けて…こんな僕をいつになったら救済してくれるのか.

日々弱々しくなる僕のキモチ

 

 なんとなくブログを書き始めてから月日はそれなりになっているようです。でも、更新頻度はあまり高くありません。日記と称してこのブログを暇つぶし程度に、いや、日頃に思い抱く不満な感情を吐露することで多少なりともはキモチを楽にしたいというそんな目的からこのブログをはじめました。

 

 だけれども、実際のところ僕はほぼ引き篭もりみたいな状態の生活を送っています。誰とも接することもなく、誰とも話すこともない生活。それでも一応は生きています。じゃあ、生きているなら外へ出て猛々しく闘争心をむき出しに労働に励みなさいと、そういった声が聞こえてきそうなものです。おそらく、この記事の先の文を読んだ人もそう考えたんじゃないのかなぁとは思います。

 

 ではなぜ、僕はそう猛々しく生きようとしないのか。単にこの日本の社会というものが恐ろしいからです。なにが恐ろしいのか。それは、労働者としてこの日本の社会に点々と位置する現実に存在する会社では日常的に行われている労働力搾取というものが僕には恐ろしいのです。こんなことをいうと、会社で働かれている方々からは生きるためにはそんなことは仕方のないことでアタリマエのことだ!だなんて叱責を喰らいそうですが。しかしながら、かく言う会社で労働者として働いておられる方々がこの労働力搾取を直接的にか、もしくは、間接的に肯定してしまっているという事実には変わりないんじゃないでしょうか。働くことは当然です。労働は人間の精神の糧です。我々が生きていくためには大切な行為です。そして、そこから生まれる生産物は我々の生活に必要なものです。でも、その本来は讃えられるべき労働がいつの間にやら労働力へとすり替えられ、求められるものは生産力となってしまいました。働いていることだけでは社会や会社は認めてくれません。生産性がない社員へ対して経営者は賃金を支払いたくはありませんので、当然に解雇されてしまいます。使い捨てですね。しかし、そのような現実を前にして、苦しんで働いている同期の社員の方へ手を差し伸べたりされることはあまりないとのことです。働けないのは個人の責任だからでしょう。現役で労働者として会社に雇用されている方々は労働力搾取に喘ぎながらも、それを助長させんとばかりに働き続けます。賃金の向上というニンジンを目の前にぶら下げられた労働者は皆、闘争心をむき出しに我こそはこの資本主義社会の有閑階級へとふさわしい人間にならんとばかりに、同期の方々をライバル視、、、いや、敵意することで振り落としていくそんな人たち がこの労働力搾取によって成り立つ資本主義社会を是正することもなく肯定して生きているわけですね。

 

 ところで、こんなことばかりを考えているとキモチも弱ってきます。労働力を経営者に巻き上げられながらも命と尊厳をすり減らしてあくせくと働き続けることが恒常化した今の日本の社会に対してなんの夢と希望を抱けばいいのか。先に述べたように働かなければ生きていくことが出来ないことは事実です。でも、その労働の権利が大きく制約されてしまっているのが現実なんじゃないでしょうか。だって、働いても生活苦にあえぐ人たちは派遣制度の緩和のおかげさまで年々に増加していきているとのことです。まあ政府は正規雇用者の数を増やせと各企業へ通達しているみたいですので、企業としてはそれに従い一応は正規雇用の社員の数を増やそうとしているみたいです。ですが、その実態の幾つか、または、多くは名ばかり正社員と称されるように、契約上は正社員でありながらも代償として仕事へ対する責任を上乗せされているみたいです。そんでもって、賃金の向上はこれといってないそうな。人の労働というものを神聖視するどころか、むしろ明らかに軽んじてますよね。労働は義務だなんていうモラルを盾に。

 

 人間どうしを敵視しあって闘争することが当たり前のように刷り込まれた人たちが溢れる社会に対してどう抗って生きていけばいいのか。生活の糧となる労働を市場へと封じ込めたこの日本と社会の構成員たるステロタイプな国民たちは日々、僕を殺しにかかって生きてるようなものですね。理想も絶え、夢も絶え、憧憬も絶え、なにを志して生きていけばいいのか。この喜びを分かち合えない現実の社会でなにを糧に生きていけばいいのか。僕はキモチは日々弱まる一方です。

オトモダチ闘争

 

 大学をやめてからというものも実生活での人間関係が枯渇してしまいました。もはや、僕は社会的に孤立している状態とあまり変わらないのではないかという気がしてしまいます。

 

 人間は社会的な動物として他者の共生しながら生きていくことが自然な気がします。だけれども、僕はそんな共生して生きていくための空間を準備することに失敗しました。そもそも、こういうものは準備するものなのか、それとも、予めに用意されているものなのかは判然としません。前者であるならば、不断の努力による競争もしくは闘争によって勝ち得るものなのかもしれません。でも、後者ならば迎え入れてくれる空間や組織があるはずなのです。人間は社会で共生の比喩的な表現としての協力の名のもとに生活することが自然なのだったら、社会にはあらゆる人間を迎え入れてくれる組織や集団があることも自然なことだと思います。しかし、社会の実態はそうでもなさそうです。就職活動は紛れもなくある企業への就職口という限られた牌の奪い合いです。

 

 まあそんなにたいそうな話しでなくても、僕にとっては日頃の交友関係も似たようなものな気がしてなりません。オトモダチどうしが形成する集団をある集合Aと考えればその性質は紛れもなく可算集合として定義さるんじゃないのかなぁと思います。だって、オトモダチメンバー集団の人数を両手で数え上げられないようなことなんてないですよね。大抵、数人のメンバーからなってますから。

 話が長くなってしまいましたけれども、ここで僕の言いたいことはあるオトモダチ集団に属することのできるメンバーには限りがあるということです。言い換えれば、あるひとは仲間として迎え入れられて、そうでない人はハブられるんです。でもまぁ20年も生きていればごく当たり前のように繰り広げられた光景になりますね。小学生のころからそういった現象はあったんじゃないかなぁと、僕は思います。

 

 ところでなんでこんなに長ったらしい話しをしたのかといえば、僕は大学へ入学してからその可算集合なオトモダチメンバーの元に数え上げられなかっただけの話しだからです。人間は共生社会で生きることが自然なのだから気楽にしていても、オトモダチはいーっぱいできるんじゃないのなぁと思っていました。けれども、入学当時から周りはあちらこちらを詮索して回っているような空気が漂っていました。おそらくあの空気が立ち込めるその原因は、自分こそはぼっちになんてならないぞ!っという闘争心から湧き出たものなんじゃないかと、今考えてみるとそう思うところがあります。それでいざ、形成されたオトモダチメンバーは闘争によって成立したものなので、なんだか保守的でした。そうですよね、だって、各個人が血眼になってかき集めた普段の努力のせいかなんですもの。どこぞの馬の骨かも知らぬ輩を寄せ付けるはずもありません。

 

 僕はなんだか生活するための一つの手段でしかないオトモダチ関係にまで闘争を持ち込むようなそういう慣習には疲れました。なんだかしんどいなーっと、そんなことを思っていたら誰とも交友関係を取ることがなくなってしまったというお話でした。

人間関係を持続できない

 

 僕は何の理由もなく突如に人のことが嫌いになってしまいます。最初はこのひとやあのひとたちと仲良くしたいなと思ってコミュニケーションを取ろうとします。もともと僕はあまり人付き合いが得意な人間ではありませんので、最初の一歩がうまくいかないケースもたくさんあります。でも、何度か試みているうちに最初の一歩を踏み出して少しづつ仲良くなっていけたことはあります。しかし、交友関係を長く続けていくうちになんだか相手の嫌な面が鼻につくようになってしまいます。すると、僕はそのことに我慢できなくなりすぐにその人と縁を切ってしまいます。

 

 日常の社会生活においては最初に僕の取る手段は道化を演じることです。そうすることで、なにも取り柄のない僕の周りにも人が集まってくるようになります。その中から僕と仲良くなってくれそうな人を選びます。でも、一個人で道化を演じる僕とコンタクトを取ってくるケースはあまりありません。なので、実際ところは小集団を相手にすることになります。僕の仲良くなりたい人とその集団に属する他の人は別の存在です。これは当たり前のことですね。となれば、その人だけでなく他のみんなとも仲良く振る舞う必要がでてきます。そうなると道化師としての僕は他の人の要求に応じで行動しなければならなくなります。一個人を相手にしたものであれば、僕にも容易に制御することは可能です。でも、集団となると仲のいい相手の人もその集団心理にのまれてしまうことがあります。すると、僕にとって不都合な自体が生じます。それは、一方的な道化師を演じる僕からの笑いの搾取です。彼らは僕の道化に対してなんら貢献をなしてくれません。だけれども、彼らは僕に対して面白い人間であろうとさせることを望みます。僕はそのことがすごく嫌です。なぜなら、僕は面白いことをして相手に表情を伝った喜びを引き起こさせているのに、暴君の如くさらなる欲求をむき出しに蛮行じみた暴挙に及ぶからです。でも、これが他になんら取り柄のない僕の限界なのかもしれません。

 

 しかしながら、道化師を演じる気分はわりといいものです。僕の寄与した行為で相手が表情を喜ばせれば、その瞬間は僕も嬉しい気分を味わうことができます。だが、このことを客観的に捉えてみれば、ただ僕は相手にとって都合にいいだけの存在でしかありません。経験上、僕が相手に何かこの道化を演じることに準じたことを要求したところ、なんらそれを飲んでくれる人はごく少数の人を除いていませんでした。これらを思い出すたびに僕の築いてきた人間関係とは一体なんとも空虚でもろいものだのだろうと痛感させられます。だんだんとそのことを考えるたびに人間と付き合うことが馬鹿らしくなってきます。するとある日突然にその人達と縁を切りたくなり、段々と会うことも連絡をとることもなくなり、そして、絶縁してしまいます。

 

 こういったことが積み重なって結局のところ僕には誰ひとりとしてトモダチができませんでした。人はその本性からして、相手を支配しようとする生き物なのかもしれません。だれも相互扶助の考えに沿った貢献による進化というものを理解してくれないのでしょうか。集団は相互扶助によってでしか知的に発展することがないものだと僕は思います。

台風ですね

 

 人生の夏休みの最中に大学生としての夏休みを過ごしてから1週間が経ちました。今日は台風でお外の天候が大荒れの模様です。僕は低気圧に弱いせいか、今日はとても身体がしんどく感じられます。それに、頭の回転もいつも以上に悪いです。でも、僕の頭の悪さと低気圧との連関性はこれといってないんですけれどもね。

 

 台風が来るとお外は大雨で吹き荒れてしまいます。これは当然なことなんですけれども、お外に出られなくなってしまうのがつらいです。僕はほとんど毎日、家に引きこもっているだけの人間なので仮にも悪天候であろうともこれといって関係のない話だと言われればそこまでなのですが。引き篭もりにお外の天候は関係ないのかもしれません。

 

 ところで、大学のテストが終わってからというものも、僕のやる気スイッチは全部オフになってしまった気がするんです。以前まではあった目標意識とか勉強に対する意欲も減退しちゃっている気がします。でもきっとこれは台風のせいなんだろうね、っと自分に言い聞かせて過ごすだけの毎日です。この悪天候が晴れる日には僕のやる気スイッチもオンになっていけばいいなぁ。

僕の夏休み

 

 テストが終わりましたので今日から夏休みが始まります。大学生は夏休みになにをする生き物なんだろう。アルバイトに精を出すひともいれば、遠方まで旅行へ行ったりするのかな。妄想だけがどんどん膨らんでいきます。そこでふと頭の中だけに存在するわけではない肉体を有した僕自身のことを思い返しました。すると、小学生の頃は家でぼーとしてるかテレビゲームをやっているかのどちらかだったような、そんな記憶が思い返されました。じゃあ中学生や高校生の頃は何をしていたんだろう。なにも思い出せません。多分、小学生の頃の記憶とごちゃごちゃになってるんだと思うんです。なにもない長期休暇の記憶は時系列すらバラバラに脳内で滞っているのかな。僕の夏休みってなんなんだろう。

 

 今までの記憶がうやむやなら今年の夏休みはなにかすればいいじゃない。そういう考えもありそう。でも、何をすればいいんだろう。トモダチもいないしお金もないし、かと言ってそれほど行きたいところもない。毎日、家でなにをするわけでもなくただぼおーっと過ごすだけでも時間だけは経過します。こうやってまた今年の夏休みもうやむやになっちゃうんだね。僕の脳内にすら残らないし、はたまた僕以外の人間の頭の中にも残らない僕の夏休み。

 

 学校の長期休暇といえば、僕の人生もまた長期休暇みたいなもの。いつまでたっても終わりそうもない。いつになったら終わるんだろうかこの休みは。学校を卒業したら自動的に終了するのかな。でも、それと同時になにか他のことも色々と終わってしまいそう。そんなことを考え始めると、僕の夏休みは僕が生きている限りは永遠に続いてくれたらいいのになぁ…、なんていう気持ちだけがこみ上げてきます。なんだか、僕はいつから夏休みに入ったのかわかんなくなってきました。

眠れないので日記書く

 

 今日はなんだか疲れました。でも、僕は今日もお外にでることはありませんでした。だけど疲れてしまいました。なぜなんでしょうか、僕にもそれはわからないのです。

 

 ただ毎日引きこもって家でそれなりに課題をこなしているつもりの人生を送るだけの毎日が黙々と続いていくばかりです。他の人からみればこんな生活を送っている人なんて奇人だと、変人だの、精神異常者だのとこっぴどく罵られてしまいそうです。でも、これが僕の生態系なのです。毎日、ご飯を食べてなんとなく通信制大学の勉強をするだけ。そして、お風呂に入って寝る。するとまた朝が来るんです。そうすると、また同じような日々がぐるぐるぐると回るように、まるで一定の周期性を帯びているかのようにも感じられてくる時があったりもします。

 

 僕はもう成人になってから幾年か経ちます。社会的な責任能力や行為能力にも法的なお墨付きをいただける歳です。ですが、僕には未だに社会での居場所というものがありません。少し話しは変わりますが、最近はなんだか共謀罪と呼ばれる法律の可決と施行について話題になっていると耳にしました。僕はあまりその内容については詳しくはわかりません。だけれども、この法案がこの社会的弱者になってしまった僕の生活を脅かすものじゃないかなぁとはなんとなく思えてくるんです。でもね、“共謀“っていうからにはだれか人間どうしの集まりを想定しているわけじゃないですか。それってよくよく考えてみれば僕には関係のないことですよね。だって、僕には人間どうしの集まりどころか声帯を震わせて声を交換するトモダチすらいないんですからね。。。